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since2003年3月20日

メシアの法」とは一体どのようなものでしょうか。それを要点だけ具体的に開示しておこうと思う。まず善悪の究極原理と宇宙の構造を知らなければこれは説けません。全ての善の源は神の心であり、全ての悪の源は神の体です。

神の体こそ物質宇宙といわれるものであり、物質宇宙を表現している心が神の心です。「
宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である」(西田幾多郎)全ての善の源(神の心)と全ての悪の源(神の体)は、宇宙は神の表現体で一つです。善悪は切れません。

従って
物質宇宙そのものが神の一大倫理表現と言えます。人類が求める唯一の普遍的価値基準は、我々の目の前に永遠にある。しかもこれは絶対の正義、唯一不変の意志であり、宇宙が終焉するまでこの善悪の価値基準はなくならない。

よく絶対の正義や善は存在しない。人の数だけの善があるという人がいますが、これは神の公理中にある平等即差別、一即多における多や差別相の方面を捉えて述べられているのであって、それは自我の善であるから方便の域を出ない。

神の心は常に絶対の神理であって、相対の神理などと言うものはありません。それはその方の勝手な善であって、神の善とは言えない。宇宙の存在そのものが絶対的で永遠なる善悪の価値基準なわけです。

人間が自由にどういった善を述べてもそれは神の心の範囲を出ないし、人間が自由にどんな悪をなしてもそれは神の体の域を出ないということです。
天界の全霊人、この世の全人類、地獄界における全霊人の内、ひとりもこの神の心と体の理法の枠外には置かれておりません。

過去・現在・未来を問わず永遠に宇宙が支配している。この理法を無視するとこれが腐敗となります。詳細は善悪の究極原理「水平線の法」を参照して頂きたいが、要は現代の人類は神の心と逆をやっているということです。

見られる全世界は見る者、全人類の心の世界です。この構造と仕組みも永遠に変わりません。何億年後もこの宇宙に住する限りは、「見られる世界(客観)は、見る者の心の世界(主観)」(西田哲学)で主客合一ということです。

従って確かに神を信じ、生命が向上(善)すれば、人類救済という利益(悪)はあらわれます。確かに神を信じ、生命が向上(善)すれば、世界平和という利益(悪)はあらわれます。確かに神を信じ、生命が向上(善)すれば、地獄界の解消という利益(悪)はあらわれます。

善悪は不二です。実際「
メシアの法」とはこれに始まってこれに尽きると言っても良いでしょう。しかしてこれを逆にすれば現代となります。

それは「
餓鬼の世界」です。食べても食べてもお腹が満腹にならない世界です。救っても救っても救われない餓鬼の世界、世界平和を求めても求めても得られない餓鬼の世界、地獄解消を求めても求めても得られない餓鬼の世界です。

食っても食っても満たされない「餓鬼の世界」です。
神を信じず、生命の向上もないのに人類救済だけを求めている。よく考えて頂きたいのです。

生命の向上もないのに人類救済などは永遠にないのです。生命の向上もないのに世界平和などは永遠にないのです。生命の向上もないのに地獄界の解消などは永遠にないのです。これは神の眼から看たら泥棒と同じなのです。

地球も神の体の一細胞であって、神の神殿なのです。この神の神殿で利潤を求めるビジネスをやっているわけです。神の神殿で神を無視して、人類救済、世界平和、地獄界の解消、飢餓の根絶、犯罪の抹消、環境保護等、利益だけを求めている。

神の神殿で神に仕えず、見当違いの国益や利益に仕え、働かないで給料だけを得ようとしている。この泥棒と同じなのです。神の宇宙構造はそういった仕組みになっておりませんので、世界平和や人類救済はそういった道徳では成就しません。

すなわち神の眼から看た「悪」とは、神の心を信じて、生命が向上進化した時、これを原因としてあらわれる現象と結果、あるいは物質、これを神の眼から看た「悪」というのです。

では人類の生命が神の如く進化を遂げたら何があらわれるでしょう。人類救済が自動的にあらわれるのです。生命が信仰によって進化したら何が表現されるのでしょう。世界平和が表現されるのです。

信仰によって各人の生命が向上したら、一体どういう物質があらわれるのでしょう。自動的に飢餓がなくなるのです。世界の腐敗と地獄界の根源的原因はこの善と悪、生命と物質を逆転させた結果、人間が生んだものなのです。

生命即物質、善悪不二が神の理法ですから、善と悪は紙一重と言えます。成熟が善、未熟が悪、成熟即未熟で善悪不二です。既存の人類は未熟からどうしても利益に基づいた道徳を言うのですが、利益は自他と天地、善悪と主客を分離する善ですので、必然的に地獄界の無限創造の世界となります。

一般の言う道徳とは神を信じて、生命が進化した時にあらわれる利益(悪)、いわゆる人類救済、世界平和、地獄界の解消を善とし、これに反するものを悪としております。すなわち救済が善、地獄が悪、平和が善、戦争が悪、生かすが善、殺すが悪等々です。利益、いわゆる悪から出た善悪、悪から出た道徳を道徳と言っております。

神から出た善悪ではありませんので、無神論者は必ず利益と自我から出た善悪を説きます。逆なのです。世界平和や人類救済、地獄界の解消や環境保護は「
神の好むもの」ではなく、「人間の好むもの」なのです。

「神の好むもの」は各人の生命の進化と向上です。宇宙も人間が生まれて、生きていかなければならない人生の意義もこの点にのみあるのです。「神の好むもの」、すなわち人類の各人の生命進化が成就するに比例して、向上進化した分だけの「人間の好むもの」、いわゆる世界平和や人類救済、地獄界の解消や環境保護という「利益」が現象化してくるのです。

現行の人類は上と下、善と悪を逆に認識しております。上を下にして下を上にして、善を悪にして悪を善にしております。地球では長い地獄界の歴史があるわけですが、地獄界の根源的原因もこの世界平和、人類救済、飢餓の根絶、環境保護等々の「人間の好むもの」、いわゆる利益が原因です。

では何故、長らく地獄界の原因が分からなかったかと言えば、ご覧頂ければわかると思いますが、世界平和といい、人類救済といい、本当の悪は必ず善に見えるという、この宇宙における神の善悪の秘密があるからです。

生命の向上もないのに救済だけを行ったり、生命の向上もないのに飢餓だけをなくそうとする変な人たちがいると思いますが、これは善悪を知らない人類の未熟と弱さについた卑劣な行いと言えます。地獄はそういった人たちが作っております。気をつけて下さい。必ず善に見えます。

見えるというだけで別に善ではありません。誰であろうが救う、1人残らず何が何でも救うと言い、それを偉いと思わせている人たちがいるはずですが、地球を腐敗させたのも彼らです。地球は快楽と利益に溺れた時、腐敗するのです。溺れなければ腐敗しません。

溺れない者を成熟と言います。正義とは神の正しさであり、神の心そのものを言いますが、悪とは物質と利益、すなわち「神の体」を言います。俗にいう御利益信仰とは宇宙の構造から規定されているものなのです。

すなわち
我々人類と世界を数千年かけて汚し、地獄界の創造原因となっている神理上からの「利益」とは人類が共通の神を信じて、生命が進化した時、現象化される物質、これを悪と言います。

そして
悪とは「それは目的にもならないけれども、否定もできない」、「無制限に目的化することもできないけれども、しかして否定もできない」これが悪です。目的化しても腐敗するし、否定しても腐敗する。

神理とは宇宙そのまま、現実そのまま、あるがままの生命と物質の状態です。現実そのまま、宇宙そのままが実在と言えます。究極の神の理想は、我々の眼の前に宇宙として現実化しているはずです。

天地一体、自他一体、善悪不二の主客合一が神の理法です。一即多即無限即絶対即永遠即完全です。善悪は人間が数で決めるものではなく、神が表現せし宇宙が永遠に決定しております。

今後の人類は残る人間も少ないようですが、善悪の価値基準と判断をこの我々の目の前に在る宇宙に依存していくようになります。今は勝手なことをそれぞれが言っているようですが、
善悪の普遍的な価値基準とは神の心とその体である「宇宙」そのものであるということです。

善悪の基準も神、人類救済法則も神、依存、政治体制も神、経済原理も神、法律や憲法、学問や科学も全てはこの神に向かいます。
神の存在においてのみ全人類は永遠に一つというのは議論の余地を許さぬ一つの厳正な事実なのです。

神の絶対的権威の確立、人間の本質の客観化のみが、天界、現界、地獄界の三千世界を根源から改造する唯一の神理です。神の権威実現だけで存在する全てのものが変わります。これを憲法に入れることができた国家が今後、数千年の世界の正当なリーダーとなり、世界各国を正しく神の意志に導きます。地球の天界では私がその最高責任者となっております。